「偶然」と「縁」が繋いだ立山町での暮らし

川端 里枝 さん(かわばた・さとえ)

出身地:大阪府
現住所:立山町 移住年:2012年
職業:立山町地産地消加工施設勤務

「理想とは違っていたけど、今はここで暮らしていきたいと思っています」と笑顔で話す川端里枝さん。富山県に来たのは「偶然」と「人との縁」があったからでした。

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田舎暮らしがしたい

大阪府高槻市で生まれ育ちました。保育士を経て実家の自営業を手伝い始め、結婚後は夫婦で両親の仕事を手伝いました。
両親が60歳を過ぎた頃、仕事を退くことになり、次は自分たちで…とも考えました。私は両親がやっている間は何がなんでも手伝つもりでしたが、両親のようにはやれないという最終的な決断をしました。「じゃあ、これから先どうしようか」と考えたときに、夫婦で老後はいなか暮らしがしたいと話していたので、「それなら思いきって移住しよう!」と決めました。時期が早まっただけだと。父の「やってもダメならまた考えればいい」という言葉にも背中を押されました。そこから、移住先探しを始めました。

立山町に決めたのは「偶然」と「縁」

両親にも会える距離から徐々に京都、岐阜と距離を伸ばし、探していきました。
富山県に来たのは、旅番組でよく見る立山アルペンルートや黒部が強く印象に残っていたからです。「富山県」より「立山」「黒部」のイメージが強かったですね。
立山町に来た日はスカッと晴れていて、目の前に見える大きな山に「なんだこれは!?」と家族全員が驚きました。立山町で見た立山連峰と、緑豊かな晴れの景色が印象に残りました。
立山町に来て情報を集めるために、まず町役場へ。しかし、私たちが行ったのは休日。当直の方しかいらっしゃらず、思ったような情報が得られませんでした。さらに、「田舎暮らしといえば平屋で庭付きの町営住宅がある」と思い、聞いてみると、「そんなのはない。町営団地は3階建て」と言われてしまいました。「それは理想と違うなぁ」と思い、帰ろうとしたとき、偶然役場の方が降りてこられ、話を聞いてくださいました。すると、「わしの村に空き家があるぞ。せっかく来たんだし、お土産に見て行ったらいい」と。言われるがままついていきました。かなり山手の方まで上がっていったので理想の家があるかもと思いましたが、実際は家に囲まれた家。理想とはかけ離れていて、その日は本当にお土産にして帰りました。
しかし、その後も、その役場の方が心配して連絡をくださいました。また、何か心に引っかかるものがあり、「それならここにしよう!」と決めました。

キーマン
移住のキーマン 立山町役場の方(お子さんが描いた似顔絵)

何があっても「まぁ、いっか」

最初は右も左も分からなかったので、とにかく出会う人には大きな声で挨拶しようと心がけていました。また、お世話になった役場の方が地域の方に声をかけてくれたので、すっと溶け込むことができました。ほんとにありがたかったです。
地域に慣れてくると、玄関に野菜がどっさり置いてあったり、出かけるときに声をかけてくれたりと温かく見てくれています。ご近所さんが「困ったことがあったら言われ」「あんたらも親戚みたいなもんやちゃ」と声をかけてくださり、本当にうれしく思います。
もちろんいやなこと、困ったこともありますが、自分たちはここの集落に入れてもらったんだからここのやり方にあわせていくことも必要と思うので、「まぁ、いっか」と思うようにしています。都会ではお金があれば何でも買える生活ですが、こちらではないものもあります。そんなときは「なくても、まぁ、いっか」と思うと気にならなくなりました。不便な里山ですが、周りの人が良いからここで暮らしていきたいと思えるんです。

目標は「田舎のおばあちゃんになること」

移住後はのんびり暮らそうと思っていましたが、周りを見るとみんな働いてるんです。それを見て、「働かないと」と思い探しました。せっかく働くなら地元に関われることがしたいと思い、立山町地産地消加工施設内にある米粉パンのグループを手伝い始めました。働く中で、地元のものを使った料理、地元の味や作り方を知ることができました。
もともと料理をするのが好きなんです。大阪時代から梅干や味噌作りに興味は持っていました。立山町に来てから梅干や味噌だけでなく、干し柿、キャラブキなどご近所さんにやり方を教わって作っています。「田舎のおばあちゃんになる」のが夢。軒先に大根を干す…そういう昔ながらの生活をしていきたいんです。
また、昨年から立山Craftでのお弁当作りに関わりました。地元の食材を使い、竹弁当につめる。ありそうでない田舎のお弁当を作って楽しんでいます。

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地元の食材がたっぷり入った竹弁当。立山Craftでは大好評

家族で決めた決断

富山への移住を決めてから家族で何度も話し合いました。全員が自分自身で決めないといけないと思っていました。自分が決めたことだから何かあったときに人のせいにできません。子どもたちも含め、確認してきました。最初の1年は家族全員が全力で頑張っていたと思います。なので、家に帰ってきて関西弁でしゃべることがほっとできる時間でした。
地域の行事には夫婦ともになるべく参加するようにしています。移住前は、「移住したら時計も手帳も要らなくなるかもね」と話していましたが、実際はないと大変なくらいです。大阪時代より忙しくなっているかも。私は、ロッキングチェアに揺られて過ごそうと思っていたのに…。理想とは違いますが、充実しています。おかげで地域に溶け込み、夫婦それぞれのコミュニティができました。時々、家族に「こっちに来てよかった?」と聞くと、「うん」というので良かったんだなと思います。

当たり前のことに感動する日々

立山町にきて、お米がおいしい、水がおいしい、空気がおいしい…そんな普通のことに日々感動しています。当たり前のことが魅力的。「水のおいしいところに移住したい」と思っていたのでこの理想は叶って良かったと思っています。星の多さや鳥のさえずりが家の中で聞こえると癒されます。
5年経ち、生活にやっと慣れて落ち着きました。しかし、いまだに雪や寒さには慣れません。