自宅に「きのみ工房」を構え、木工製品を製作している吉岡幸文さん。また、「富山県フォレストリーダー協会」の一員として、森林保全活動や木工体験教室の中で子どもたちに木工の楽しさを伝えています。吉岡さんが木と関わるようになったのは何がきっかけだったのでしょうか。

吉岡さん

大阪府守口市で松下電器産業(現・株式会社パナソニック)に入社。テクニトーンの製造・販売に携わっていました。昭和59年、魚津市で半導体製造ライン工場の立ち上げが決まり、応募。採用が決定し、魚津市へ。住んでいるうちに富山県が好きになり、平成3年、定住を決意されました。

森と関わるきっかけは?

草刈十字軍の提案者・足立原貫さんが開講した「人と土の大学」に参加。そこでさまざまな方の話を聞き、感銘を受けました。当時、木の需要は何があるのか?と考えたときに住宅建築材料しかありませんでした。もっと県産材を活かせるのではと思い、森林サポーターとして関わるようになりました。
松下電器産業で働きながら富山県育林ヘルパー制度(現・富山森林サポーター制度)を利用した活動を職場の仲間を誘って参加していました。52歳で早期退職。森林に関わる活動を中心に行うようになりました。

「DASH村」に影響されて

もうひとつのきっかけは「DASH村」。「向こうがヤギを飼うなら俺は牛を飼う」と思って、黒部市にある若栗牧場で3年間働きました。藁やり、産まれたての子牛の小屋作りなどをしました。マニュアルにないことがたくさんあり、そのたびに驚かされましたが、それが面白かったです。(現在、若栗牧場ではヤギの飼育もされています。)

「木」がつないでくれる人との縁

木工を通して少しでも地域に貢献したいと思っています。木工はいろんな要素があります。木を伐採するなら森林について知ることができる、のこぎりや紐などアナログな道具の使い方を身につけることができるので一石二鳥です。木材・竹材を使ったものを作り、それを使って多くの方に生活してもらうための提案、身近に自然を感じられる製品づくりを目指した製作活動をしています。
最初の頃は、周りの方に差し上げていました。「いいものができた!どうぞ」と。しかし、ある方から「いろいろ作ってくれるけどあなたの自己満足なんじゃない?もらった人が喜んでるかどうか分かってる?」と言われました。自分は「こんな素敵なものができた!」と思っているが、相手の欲しいものかどうかは別なのだと気づかされました。
それから作ったものに値段をつけ、お金をほんの少しいただいていこうと切り替えました。そうしたら作るものが変わっていきました。お客さんから「ここが使いにくかった」「もうちょっとこうして」など要望を聞いていくにつれ、より良いものが作れました。そして、商品を見た立山町のうどん屋さんから自然木の椅子をつくってほしいとオーダーが入りました。
それをきっかけにいろんな方から椅子、机のオーダーが入るようになりました。
オーダーで作ったものはメンテナンスに行きます。それで、社会とのつながりができています。「木」が人とのつながりをつくってくれました。
ものを売るときにそれなりの価値があるものは、高くても納得して買ってもらえる。自己満足じゃなくなるんですよ。
「富山県フォレストリーダー協会」の活動として児童館や県内のイベント内でボールペンなどの木工製作体験をしています。同じ活動をしていく仲間が増えればいいなと思います。
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自宅ガレージ内の工房。ここで素敵な作品が作られています。

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全て県内里山の間伐材。2~3年乾燥させます。

「せかいでただひとつ 小枝のボールペン」

工房では森林・里山保全活動を行う中で出た枝打ち材・間伐材を使った小物、間伐材を使った背付ミニ椅子、おもちゃなどを作っています。中でもヒットしているのが「小枝のボールペン」。小枝は全て県内里山の間伐材(除伐樹木)で伐り捨てられる運命の木々を持ち帰り、2~3年以上自然乾燥した物を使い、表面処理は蜜蝋塗布で仕上げ。ボールペンインクは交換可能で長く使い続けられるようにしています。枝は削ったりせず、そのまま使うので、同じものがひとつとしてありません。「せかいでただひとつ 小枝のボールペン」をキャッチフレーズに販売しています。イベントではインクの芯の交換を行っていますが、インクが空っぽになり、小枝の色が変わっているのを見ると「使ってもらっているんだな」とうれしくなります。最近は購入頂いた方がインクを交換して下さいと持込まれる事もあります。作り手冥利に尽きます。
①小枝のボールペン

自然の姿そのまま。色も形も同じものがひとつとしてありません。

災害時に対応できる力を

「富山県フォレストリーダー協会」の活動時には「結ぶ・燃やす・木を切る・木を削る」の4つを大切に活動しています。阪神大震災の際にボランティアに行きました。ボランティアに来ている人たちが、火起こしも縄をくくることすらできない。「何もできないのに来ても意味がない」と実感しました。東日本大震災の時もそう感じました。
今の若い子は何でも揃っている中で暮らしていて、生きていく知恵を知らない子が多い。ナイフで鉛筆を削ることなんて親がさせていない。災害はいつ起きるか分からない。いざ災害が起こったときに対応できるようにしないといけないと思います。最低限ナイフは使えるようになってほしいと思っています。だから、木工体験では木を削る経験ができるようにしています。


吉岡さんのお気に入り

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肥後守(ひごのかみ)

小学校のときにもらったナイフ。手になじんで使いやすい。折りたたんで持ち運べるのがうれしい逸品。

 

移住のアドバイス

朝の天気を見て、スキーにいける県はそうそうない。雪はやわらかいし、転んでも痛くない。お年寄りでも楽しめるスポーツだと思います。年寄りウェルカム!
まだまだ富山の観光資源はたくさんあると思う。未開発の部分がたくさんある。お酒も魚もおいしいから酒蔵ツアーが楽しめるなど自分でチョイスして、企画して、楽しいことを見つけられることが魅力。僕は富山県に来て正解でした。