「定年後も人に仕えるなんて、まっぴらごめん」。
熊本県八代市役所に勤めていた健二さんは、再就職のオファーを断わり、体育の先生をしていた奥さんともども、奥さんの故郷に定住しました。

山中さんご夫婦の出会いは、日本体育大学時代。
卒業後、健二さんは八代市役所に、幸子さんは八代市で体育教師になりました。
結婚後、八代市内に木造山小屋風の自宅を新築。二人の子供を共働きで育てました。

 

さて、定年も近づいた50代半ば、健二さんは「知らない場所で気楽に住んでみたい」と思うようになりました。
そこで、幸子さんの母親が砺波市に住んでいることや、子供たちも東京で働いており「熊本より東京に近いから」ということで、砺波市への移住計画をたてました。

砺波といえば、社会科の教科書にも出てくる、屋敷林に囲まれた「あずまだち」の家が点在する散居村。
健二さんも県西部を中心に、不動産屋さんを頼って物件を探し回りました。

しかし、「どの家も大きすぎるのです。土地が400〜500坪、家も100〜120坪あって、とても夫婦二人では扱いきれない」ということで断念。

また、大きな民家を小さく改築して使うことも考え、古民家再生を手がける業者に聞いたところ「あずまだちの家を小さくすると家のバランスが悪くなるし、古民家再生はお金もかかる」と、これも断念。
結局「あずまだち風」の家を新築することにしました。

 

設計は、インターネットを見て惚れ込んだ金沢市の設計士に依頼。
4ヶ月かけて自分たちの思いや金額のすり合わせをして、今年6月中旬に完成、7月に引越しました。

移住構想から実現まで4〜5年かかりましたが「時間をかけた甲斐はあった」そうです。
家を建てた場所の選定については、「まず上下水道、ガスなどのインフラが整備されていること。あまり街中でないこと。それから土地が安いこと」でした。
建築にあたっても設計士さんや大工さんとさんざん議論したそうです。
「たとえば居間の腰板ですが、節だらけでしょう? 大工さんは『そのうち反ったり隙間ができたりしますよ』と渋ったのですけど、それもまたいいのです。だからとても安く済みました」。
もちろん、寒さ対策や雪対策には十分配慮してあります。
ご近所付き合いはどうですか? と聞いてみました。

「家ができるまでは妻の実家に間借りし、建築が始まってからは、ほとんど毎日犬の散歩を兼ねて見にいきました。
富山の人は、最初のうちは『どんな人がくるのか』と心配顔でした。
でも、こっちの人柄がわかってくると、急速に親しくしてくれるようになりました。
家も『風景に合わないハイカラな家ができると困るな』と思っていたそうですが、できた家を見て安心したようです。
今は犬の散歩中に野菜をいただいたり、集落の会合に出たりしています。
野菜はほとんど買う必要がないくらいですよ」。

新築の家の玄関に続くスペースを利用して、夫婦でギャラリー「楽人」を始めました。
お店には健二さんが富山市のガラス工房で習ったとんぼ玉や、幸子さんが古布で作った使った小物、その他衣類、バッグなどを並べています。
また、夫婦とも骨董に興味があり、健二さんが古物商の資格をとって古民具も販売しています。

 

13山中健二・幸子さん

 

「八代の家を売ったお金に夫婦の退職金を加え、無借金で家を建てられた。
63歳からは年金が満額もらえる。夫婦二人だから結構暮らしていける」。

夫婦共通の趣味はゴルフとウォーキング。
「熊本に比べると富山は物価が少し高い。ゴルフ料金も九州は安かったね。
こっちは冬場ゴルフができないし」という不満もちょっといただきました。
定住決意から実現まで、すべて自力で行った山中さんご夫婦のバイタリティと、自分たちのライフスタイルに関するこだわりには感心しました。