寺田一彦さんは、東京都で映像制作を主に行う会社を経営されていましたが、2011年2月に富山県へ会社ごと拠点を移します。
会社経営を続けながら、農業にもチャレンジ。
2012年に富山市の旧山田村地域を人生最後の拠点と決め、村の発展に貢献すべく、様々な計画を立てて活動されています。
—富山へ移住された理由は?
農業の経験はありませんが、これからの時代は「農」だと頭によぎり、日本海側の田舎で、畑も貸してもらえるところを探しました。
県外の人が農業を始めるのは難しいと聞きましたが、富山市で農業を行っている東京都出身の方と知り合い、富山市旧大沢野町のアパートを紹介いただき、
畑も借りることができて2011年2月に富山へ移り住みました。
その約2週間後に東日本大震災が発生。
その時の様子を見て、いずれ都会は人が住めなくなると痛感しました。
ある日、砺波市に行く用事があり、その道中に旧山田村地域を通りました。
日本の原風景とも言える美しい風景に強く惹かれ、現在住んでいる山田村の空き家に引っ越しました。
ここへ来て、土・水・太陽を身近に感じられることを大変ありがたいと思っています。
東京の暮らしが長かったせいか、そういったことを切実に感じます。
—富山の暮らしはいかがですか?
今の住まいは、築90年くらいでしっかりした造りの古民家ですが、すきま風が多いです。
それが家を長持ちさせているといわれているのですが、やはりそのままでは冬はとても寒いです。
工夫として、1つの部屋を仕事部屋兼寝床と決め、仕事仲間の大道具さんと一緒に内装工事をしたことで、その部屋だけは真冬でも暖かく過ごせるようにしました。
雪の量は多いですが、人が住んでいるところは行政が除雪をしてくれるので、暮らすには問題がありません。
ですが、人が住んでいないところは、雪の季節は通行止めになります。
四季を通して村を撮影していますが、冬だけ行けない場所があるのが少し困りものですね。
都会の暮らしは、電気がないと成り立たない脆いものです。
また、庶民の暮らしは家賃などの生活費を支払うために、ひたすらお金を稼ぐことが全てになってしまいます。
子どもが安心して伸び伸びと育てられる場所や環境もほとんどありません。
山田村では、天気や田畑のことなど、生きていく上で根本的なことが生活の基本にあります。
人間にとって不可欠な、美しい風景と豊かな自然の恵みがあるこの村は日本の宝だと思います。
—山田村の地域活性化についてどんな活動をされていますか。
山田村の風景、行事、暮らしなど様々な映像を撮影し、プロモーションビデオを制作しています。
これを活用して、情報発信をしたり、都会の人との交流を増やしたり、また、映画のロケ地としてアピールしたいと考えています。
また、空き家ネットと田舎暮らし支援のプロジェクトも進めています。
まだ住める状態の空き家や、空き農地をリストアップして情報を公開し、賃貸できるよう取り計らうほか、移住後の暮らしの相談など、サポートも行う予定です。
それから、若い人が来るきっかけや村の内外の人との交流の場作り、音楽を聞いて楽しめる場所として、村にライブハウスのようなものを作りたいと思っています。
東京にいる時は、仕事に必死になっていましたが、山田村に来てから、自分の使命がここにあるのではないかと感じ始めています。
これからも、地域への貢献はもちろん、都会の人たちを受け入れる手助けをしてゆくことが、自分の生まれてきたお役目と思って歩んでいきたいと思っています。