—皆さんのおかげで、富山に定住することができました。—

「くらしたい国、富山」推進本部事務局を訪ねてこられた田口さんの第一声です。
富山県富山市、旧大沢野町で高校生までを過ごした田口さんは、卒業と同時に父親の故郷神戸の隣大阪で就職しました。
サラリーマンを経験した後、24歳で仲間と飲食業事業を立ち上げ、その後マネージャーとして会社を大きくしてきました。

 

60歳になる頃、田口さんは大阪を脱出する計画を立てました。
富山の冬を経験していたので「どこか暖かい場所がいいな」と、鹿児島の奄美大島から九州、四国、中国地方と場所探しをしました。
福岡、佐賀、長崎、鳥取、島根以外は全部回りました。

「でも、どの場所もどこか物足りない」、田口さんは感じました。
その理由を田口さんは
「一番は、最初に応対してくれた行政の窓口の担当者。
電話の向こうから熱意が伝わってこなければこっちも熱心に話をしません」
「あとは、医療体制。鹿児島の離島は暖かいけれど医療施設が貧弱で、病気になった場合が心配です」
「それと働く場。フルタイムで働くつもりはないけど、全然仕事がないもの考え物」だそうです。

 

そうこうしていた時に「くらしたい国、富山」事務局との接触がありました。
「担当の方の対応が、とてもよかったです」と田口さん。
電話での相談、「ふるさと回帰フェア」での再度の相談、富山に出かけての現地視察などを通して、田口さんの「体に残っているDNAが呼び覚まされた」のです。
「やっぱり故郷へ帰ろう」と決心した田口さん。でも故郷の大沢野に家はありません。
そこで、「くらしたい国」のホームページに紹介されていた長谷川さんを訪ね、八尾町に定住することを決めました。

「家は、市営住宅に申し込みました。市の担当者は『なかなか順番は回ってきません』と言っていたのですが、ラッキーなことに、しばらくすると空きが見つかりました」。

そこで、今年の3月に、晴れて八尾に引っ越しました。
田口さんが事務局にお礼に来られた時「引っ越したばかりで、八尾に知り合いがいない」というお話を聞き、事務局が、八尾に定住された方との交流会をセットしました。

 

09田口 徹さん

 

写真は、その交流会での記念写真。
メンバーは、長枝さんご夫婦、長谷川さん、田口さんの幼馴染の島田さん、事務局二人です(女性二人の右側が田口さん)。

八尾町旧町の割烹「一力」。定休日に無理を言って空けていただきました。

 

皆さん、出身も定住した理由も違います。でも、定住先として八尾を選んだという点では一緒。
名刺交換から始まった交流会と称する宴会は、田口さんの友達づくり、皆さんのネットワーク拡大に、少しはお役に立ったようです。

富山を離れて40年以上、引っ越してからまだ日も浅いなど、まだまだ富山に慣れていないようですが、
「富山は自然、水、食べ物、いずれも素晴らしい土地でした。
まだ知らないことが多いので、あちこち行ってみたい。
そして、何かの形で地元のために力になりたい」と考えておられます。