氷見に移住した仲間で立ち上げた「氷見のたから探し研究所」のメンバー・佐藤文敬さんは宮崎県出身。
埼玉県の大学へ進学し、出版やコンサルティングの会社に勤めます。
20代後半に退職し、1年余り海外の旅へ。
帰国後、栃木県の非電化工房で住み込み弟子を1年間、その後、三重県のモクモク手作りファームで研修を受けます。
研修の最終日、東日本大震災が発生。宮城県へ支援活動に向かいます。
2014年7月まで支援活動を続け、2015年3月、氷見市へ移住しました。

 

—非電化工房で弟子修行したのは?

書籍『愉しい非電化』を読み、以前から関心を持っていました。
旅から帰り、非電化工房に見学へ行きました。
工房は、非電化製品の発明からスタートし、私が行った頃は非電化パーク作りを始めようとしていて、そのために住み込みの弟子をちょうど募集していました。
それまでものづくりには関心がなかったのですが、避けていたことをやってみようと応募し、採用されました。
非電化工房での修行では、「地域で仕事を創る」をテーマに理論的なことから技術的なことまでいろいろ学びました。
具体的には、もみがらハウスや太陽熱温水器を使った風呂小屋を作ったり、各種ワークショップをしたり、地域の人たちと一緒になってイベントを作ったり、修業後に使えるいろんな経験をさせてもらいました。

 

15佐藤 文敬さん

 

—氷見市に移住した決め手は何ですか。

妻の出身地なので、富山県に住もうと思っていました。
私自身も日本海側に住んでみたい気持ちがありました。
自然や地域資源を生かした活動をしたいと思っていて、できるだけ素材があるところが良いと思い、富山県内のいくつかの地域を見て回った結果、山も海も近くて、かつアクセスがよいところと考えて、氷見市に決めました。

 

—どんな活動をなさっていますか。

まだ移ってきたばかりなので、環境を整えているところです。
春から畑を借りて、野菜を育てています。畑は、無農薬・無肥料で試しています。
できるだけ手間もおカネもかけずに野菜を育てる方法を模索しています。

今気になっているのは、10年くらい経つと、野菜の育て方がわかる世代がいなくなってしまうのでは、そうなると直売所も成り立たなくなるのではということです。
その頃は耕作放棄地ももっと増えるし、農業機械も余ってくるでしょう。
そうした機械をみんなで共有しながら、耕作放棄地の活用にうまく使えたらと考えています。

 

—氷見のたから探し研究所について教えてください。

地域で小さな仕事を作るための調査研究をしています。
地域資源の豊かなこの地で都会と同じような働き方をするのはもったいない気がします。
自然や景色・身の周りのものと丁寧に付き合える仕事や働き方があってもいいように思いますし、せっかく田舎に住むので、田舎だからこそできる働き方を見つけたいと思っています。

メンバーは、お互い協力し合って調査研究や実験をしています。今年はほとんど実験になりそうです。
色々試しながら仕事づくりの手掛かりを増やしていきたいと思っています。
1つ1つは大きな事業にならないと思いますが、地域の資源を生かす・見つけ出す仕事、地域の困りごとを事業化して解決することを目指しています。

例えば、氷見の山林は竹が茂りすぎて問題になっています。
そこで伐採した竹を使って炭や日用品などを作るワークショップを開きました。
参加する人も楽しく、竹林の整備もできて地域もうれしい、私たち研究員もうれしい、そんな事業ができたらと考えています。
普段ノコギリを使わない人にも関心を持っていただけるようなワークショップにしたいですね。

 

—富山県に来る前のイメージと実際に住んでみての感想は?

富山県は農業のイメージがありましたが、来てみると思いのほか工業県で驚きました。
工業が盛んでものづくりの技術もある。
農と組み合わせたら、もっと面白いことができるのではないかと考えています。

実際に暮らしてみると、いい場所だと感じます。よい出会いもありました。
また、家が大きいのもいいですね。
ただ、そのぶん断熱しにくいので、冬は大丈夫か今から気になっています。

 

—移住を考えている人にアドバイスがあればお願いします。

山も海も近い場所を希望する人には、氷見はおすすめのまちです。
富山県は豊かな県で、工場もたくさんあるし、仕事はあります。
働くことについては、移住ハードルが低いのではないでしょうか。

 

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