富山市八尾町は、9月1日〜3日に開催される「おわら風の盆」で全国に名を知られています。
井田川沿いの崖にも見える斜面の上に家々が連なる、落ち着いた雰囲気の町です。

その八尾町の中でももっとも風情のある「諏訪町通り」に「長江屋豆富店」はあります。

 

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ご主人の長枝春一さんは小学校6年までお母さんと八尾で過ごし東京に移りました。
その後大学を中退し、米国留学で得た語学力を生かして産業用砥石のメーカーで貿易部門の仕事をしていました。

でも40代後半になった時「定年後はどういう生き方をしようか」と思うようになり、八尾にUターンすることへ至ったのです。

 

「奥さん、反対しませんでした?」と聞くと、「実は、妻の方が積極的だったのです」。
八尾へは毎年お盆に墓参りで帰っていたのですが、ある年、町の裏手にある城ヶ山公園の展望台に登ったところ、井田川をはさむ対岸の高台に何軒かの家の屋根が見えます。
白壁に太い梁の美しい家々が木立の合間に見えるのです。
それは当時の建設省が進めていた「HOPE計画」のウッドタウンという住宅地で、電線が地中化され、家も伝統的な日本家屋が建ち並ぶ美しい町並み。
奥さんはもともと八尾の風景や人情が気に入っていることも手伝って一目惚れ。
そこで早速土地を購入。
家は伝統構法を受け継ぐ大工を養成している「富山職藝学院」のマイスターでもある大工の棟梁にお願いしました。

さて、引っ越してきても仕事をして生計を維持しなければ。
当初は「新築した家で喫茶店でもやろうかな」と考えていたものの、町で和紙工房を主宰する吉田桂介さんから「あの場所で商売は無理。別の場所でやった方がよい」と言われました。

 

ふ〜む、どうしよう。その時たまたまテレビで東京から福島県の会津に引越し、豆腐屋を開業した夫婦を紹介していました。
長枝夫妻は墓参りで訪れていた八尾から、その足で会津まで行き、そこで作られている豆腐の魅力に惚れ込んでしまいました。
その時お聞きした「生搾り」豆腐がおいしい豆腐のヒントになったのです。

「よし、豆腐屋をやろう」。
もちろん、豆腐屋をやったことも豆腐作りを経験したこともありません。
家庭用の豆腐キットを購入し、約1ヶ月半、毎日データを取り納得のいくまで試作を繰り返しました。

それと並行してお店探しです。
これもたまたま町内の公共施設で見た競売物件に申込み、見事落札。

 

ところが買った家は明治15年に建てられたもので、明治23年の大火禍を免れた八尾でも最も古い家のひとつだそうです。
「床下の柱は白アリでボロボロ、屋根も全面葺き替え」で修繕にもかなりの費用がかかりましたが、豆腐を作る設備は豆腐組合の斡旋により廃業した豆腐屋さんの機械などを安く購入することができました。
「これから頑張って家のローンや豆腐屋の借り入れを返さなくちゃ」と大変さをにじませます。

 

19長枝春一さん、美千子さん

 

長枝さんの豆腐は現在一般的になっている豆腐の製法とは違い、搾ってから豆乳だけを煮る「生搾り」という方法で作ります。
搾る作業に手間がかかり、早朝4時半から仕込みをしても開店は11時。
絹ごし豆腐に至っては固めるのに一晩冷蔵庫で冷やさなければなりません。
富山県産大豆100%、にがりも能登の天然モノ。無添加。
「こだわりの豆腐だと言われることが多いのですが、昔の製法で作っているだけなのですけど…」。

 

「売れますか」と失礼な質問をしてみました。
「県内各地や近県などから買いに来られる方が多数いらっしゃいます。
インターネットの通信販売も結構注文があります。地元のお得意さんもできました。
スーパーなどに卸せば数は出ますが、品質に責任を持ちたいのでお客様に直接売りたい」とのことでした。

現在の悩みは、せっかく富山が好きで引っ越したのに、忙しくて遊びに出かけられないこと。
「火曜日は定休日なのですが、雑用などで結局仕事をしてしまいます。
これは想定外でした」と苦笑しておられました。

 

Uターンを決めたのが49歳。
引っ越してきたのが54歳、豆腐屋を始めたのが55歳の平成19年2月。
早期退職して掴んだ夢は、紆余曲折をたどりながら、これから着実に進んでいくことでしょう。

 

▶︎長江屋豆富店のサイト