高校卒業後、映像の専門学校に進学のため上京。
学生時代からアルバイトをしていた映像制作会社に就職。
2015年に会社を退職し、15年ぶりにUターン。
現在はフリーランスで映像ディレクターをなさっています。
また、ご実家の養鯉業の修行も同時進行中です。
—Uターンしようと思ったのは?
東京の会社では、音楽関係を中心に、舞台やテレビ番組などの映像の企画・撮影・制作に携わっていました。
徹夜が多く、休日が半年間ほどなかったことも。
大変な分、出来上がったときの喜びはひとしおです。
しかし、睡眠不足が続いたり、締切1週間前は家に帰れない状態。
たまの休日も疲れていて、出かけることもあまりありませんでした。
何年も同じことを繰り返していて、変化を持ちたいと思い始めました。
仕事で福島にいたときに東日本大震災が起きたことも影響が大きく、これからの働き方や生き方を見つめなおすきっかけになりました。
映像制作は、撮影自体は東京やロケ地が多いですが、それ以外はパソコンでの作業が大半を占めます。
ネット環境など条件が整えば、東京でなくてもどこでもできます。
また、祖父が営む養鯉業を若いうちに勉強しておこうと思い、以前からいつか戻ることは考えていました。
北陸新幹線の開業で東京への行き来がしやすくなることも決め手の一つでした。
色々なタイミングが重なり、2015年1月にUターンしました。
今は8〜9割が東京の仕事です。
月に1回、約1週間ほど東京に滞在し、撮影や編集の最終仕上げを行っています。
はじめは東京の住まいを残しておこうと思いましたが、
宿泊費と新幹線の交通費をあわせた額の方が安く、解約しました。
住んでいるときは東京を楽しむ余裕はありませんでした。
今はたまに行くと楽しいです。行くたびに色々出かけています。
—養鯉業ついてお聞かせください。
養鯉は春から秋がメインで冬は静かです。祖父を手伝い、勉強しています。
2015年は月1回のペースで山梨へ仕入れに行き、5〜7月は産卵の手伝い、11月には品評会がありました。
鯉は奥が深いです。同じものは2匹いないし、絵画と同じように芸術作品のひとつです。
生き物なので、病気になったり死んでしまうことも。
今はまだ、病気や調子が悪いときの判断がつかなかったり、エサの量や水質の管理が難しく、祖父に聞いたり、ネットで調べたりしています。
—富山の暮らしはいかがですか。
東京にいるときは仕事主体で、友人たちと会う機会は年1回くらい。
富山に戻ってからはプライベートを大切にできるようになりました。
今は友人たちと週1〜2回会っています。
時間の流れや季節の移ろいを感じられるようになり、「普通の生活」ができるようになったと実感します。
15年間富山を離れていたので、懐かしい面がある一方、新しい発見もあり、新鮮な気持ちになります。
県内の行ったことがない場所にあちこち出かけています。
まだ知らない富山を発掘したいですね。
—今後の目標をお聞かせください。
フリーランスは不安定な仕事です。
東京の仕事がいつまであるか分かりません。
自分で仕事を得ていかなければと考えています。
東京の仕事を維持しつつ、富山で地元密着型の仕事もしたいですね。
もちろん、養鯉業の手伝いの両立も。
—Uターンして感じたことはありますか。
富山の暮らしは心が安らぎます。
人生が豊かになったと感じています。
富山の良さを再確認し、東京の良いところにも気づきました。
ずっと同じところで暮らしていたら当たり前になってしまうことも、離れて初めて良さが分かります。
富山はきれいな景色が多くて、星空もきれい。魚もおいしい。電車のレトロな車両もいいですね。
さまざまな魅力を発見することができ、帰ってきて良かったと思います。