「田舎で第一次産業に従事してのんびり過ごしたい」とお考えの方は、是非参考にしてください。
午前0時に出勤、午後6時就寝。魚津水産(株)に勤務する現役漁師、金成さんの一日です。

 

28金成裕晋(かなりひろくに)さん

 

福島県いわき市生まれの金成さんのお父さんは転勤族。
幼稚園2つ、小学校3つ、中学校2つを経験しました。

こういう経験をしたので、できれば一箇所で腰を落ち着ける会社に就職したかったそうですが、実際の就職先は全国に病院を持つ組織。
最初の派遣先が富山県魚津市の病院でした。

金成さんは、ここで5年半勤務した後、名古屋に転勤しました。
「病院では、窓口や経理を担当していましたが、どうも組織で仕事をするのが好きになれなくて」半年で退職。
しばらくフリーターをしました。

その間、かねてから考えていた第一次産業に転進すべく、いろいろな体験をしました。

 

八ヶ岳では農業実践大学校に入りましたが、生徒は
「定年や早期退職で身軽な立場の人が多く、また初期投資が2千万程度かかること、就農しても、うまくいくかどうかわからないこと、現在の農業では、営農団体に所属するので、会社と変わらないこと」などで断念。

林業については、全国各地の応募を調べてみたものの
「林業体験をした村上市の皆さんはいい人ばかりだったのですが、林業は産業として成り立つか不安だったし、就職先自体もなかなか見つからなかった」ので、これも断念。

一方、漁業は、三重県や高知県で漁業体験をしてみて
「丈夫な体さえあれば元手がいらないし、目的も単純明快ではっきりしている。男っぽい職場も魅力」ということで漁業に狙いを絞りました。

 

しかし、現実はそれほど甘いものではありません。
後継者不足といわれているほどには求人は少なく、なかなか職場が見つからなかった時、以前勤務していた魚津市で漁業体験があることを知りました。
厳冬の2月に4週間、漁協の畳の部屋に寝泊りしながら漁師体験をしました。

そして、平成15年4月、めでたく、今の職場に就職しました。

 

「富山は、自分が選んで来た場所だから、当然好きです。
環境に恵まれているし、水がうまく、だから農作物も水産物も酒もうまい。
それから景色も好きです。特にアパートから見える剱岳が好きです」。
サラリーマン時代から山登りが好きだった金成さん。
実は奥さんの晃美さんとは、アルバイトしていた山小屋で知り合って結婚しました。

 

「漁師の勤務時間は季節によってかなり違ってきます。
冬の時期、ほたるいか漁の時期、夏から秋の漁。
また会社は定置網漁なので、季節ごとに網を設置したり、はずしたり、修理したりという仕事が入ってきます。
そういえば定置網漁師の間では『仕事する』というのは漁以外の作業をするという意味で、最初はわかりませんでした」

「漁師は荒っぽい仕事で、入社してしばらくは怒られてばかりでした。
それも富山弁で怒られるので、おっかないけど何を言われているのかわからず苦労」したそうです。

でも「最近、漁はサッカーと似ていると感じています。
野球は監督やコーチが指示を出すけど、サッカーはその場その場で自分と相手のポジションを瞬時に判断して先を読んで行動します。
漁も潮や波・風と魚などの変化する状況を判断して相手との関係をしっかり読んで連携していかないといけません」。

高校までサッカーをやっていた金成さん。しっかり学習しています。
「もっとも組織が嫌で退職したのに、今も組織で仕事をしていますけど」と笑っていました。

 

今はアパート暮らしですが、家を建てる時は「剱岳が見える場所で家を建てたい」と頑張っています。
お子さんはもうすぐ満1歳。写真のように笑顔の素敵な家族でした。