東京育ちの伊東翼さんは、2013年2月

奥様とともに富山県氷見市へ移住してきました。
現在(※平成28年3月現在)、氷見市役所の地方創生課に勤務しており、

移住者を受け入れる側としてもさまざまな活動をしています。
移住者ならではの目線で、地域に根ざした活動を繰り広げる伊東さんに、

お話を伺ってきました。

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 震災をきっかけに動き出した地方移住への思い

 

幼少期、夏休みになるとお母様の故郷である氷見に家族で帰省していた伊東さん。
虫取りが大好きで、兄弟やいとこたち、犬と田んぼ道をかけまわったり、日が暮れる頃にはおじいさんの運転する軽トラの荷台にみんなで乗って帰った記憶が、ずっと胸に焼きついていたといいます。

そのような原体験もあり、地方での暮らしにもともと興味があった伊東さんは、社会人2年目の頃、神奈川県で持続可能な農的暮らし「パーマカルチャー(※1)」を学び、その豊かな生き方に衝撃を受けます。

そこで同じ価値観を持った仲間や奥様と出会ったことも、後に地方へ移住する大きなきっかけとなりました。

また、東京在住時にヒミング(氷見で活動するアートNPO)のイベントに参加したことで、氷見にもこんな面白い活動をする人達がいるんだ、と知り、氷見がますます好きになったそう。

 

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伊東さんが影響を受けたパーマカルチャーの本

 

 

実際に移住を考え始めたのは、2011年3月の東日本大震災の時でした。

当時伊東さんが勤務していた会社でも帰宅困難者が泊まり込み、震災翌日からはスーパーで商品を買い占める人が続出、ガソリンスタンドにも長蛇の列ができているのを目の当たりにします。

都会での暮らし方では、顔の見えない遠くの誰かがつくったものを消費するばかりで、いざという時に助け合えるような身近なつながりがないことに気付きました。

「ただ消費するばかりでなく、少しでもいいから、自分の手で何かを生み出せるような生き方がしたい」そんな思いから、大阪への一年半の転勤を経て、市役所への転職が決まったのを機に、氷見へ移住しました。

 

大切なことを教えてくれる“つくる暮らし”

 

移住するにあたり、何度か氷見に足を運び、地元の不動産屋さんを通して、畑付きの小さな一軒家を借りました。

空き家になって3年ほど経っていたこともあり、住むためには修繕が必要でした。

「これはきっと、目指す生き方への入口なのだ」と思った伊東さんと奥様は、休暇を利用しては車で大阪と氷見を往復し、自分たちで水道の蛇口、シンク、床など、古くなった部分を解体、修理し、必要な家具も買わずにつくりました。それまではDIYの経験がほとんどありませんでしたが、本を読んで勉強したり、詳しい知人にアドバイスをもらいながら取り組みました。

雪が降るなかでの作業でしたが、ふと手を休めて外を眺めると通りがかりの野生のリスを見かけたり、日が暮れる頃には裏山から「ホッホー」というフクロウの鳴き声が聞こえたり。氷見の自然の温かさを感じながらの夫婦共同作業は、とても楽しかったそうです。

 

㈰ウッドデッキ

移住後ウッドデッキをつくる伊東さん

 

畑は、土をスコップと鍬で掘り起こすところからのスタート。

手作業で掘り起こすのに悪戦苦闘していたところ、伊東さんの作業を見かねたご近所の方が機械でおこしてくれました。

また、知り合った漁師の奥さんから朝獲れたばかりの魚をいただいたり、おばあちゃんが育てた野菜をおすそ分けしてくれたり…。

田舎ならではのやさしさやおせっかいにふれ、人とのつながりのありがたみを実感したそうです。

 

 

仕事を通してさらに知る氷見の魅力と課題

 

氷見市役所では、1年目は市民課に配属されました。

「氷見に暮らす方達と出会い、人の気質や風習、文化、言葉、地理など、氷見入門といってもいいような、様々な学びがありました」と伊東さんは言います。

2年目に異動になったのは、農林畜産課。

林業の担当となり、林業に従事する人達や山主さん達と出会い、実際に山の中にも入る機会が増えました。外から見ていた里山が、一歩足を踏み入れただけで全く違う表情をみせることに驚いたそう。海だけではない、氷見の里山の魅力を知った2年目でした。

現在(※平成28年3月現在)所属しているのは、「地方創生と自治への未来対話推進課」。

氷見市の地方創生を実現するために日々奮闘しているそうです。

仕事をするなかで「誰かに何かを伝えるためには、まずは自分自身が実践しなければ説得力がないと、常日頃感じています」と伊東さんは話します。

 

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そのほかに、移住者として感じた氷見の魅力を市内外に伝えたり、新たな移住者の手助けをする活動も行っています。

例えば、いつか訪れるのではないかといわれている「気候変動」や「ピークオイル」といった問題に対し、一人ひとりが創意工夫しながら個人でもできる小さな取り組みを考え、少しずつ身の回りの暮らし方、考え方をシフトさせていくイギリス生まれの市民運動『トランジション・タウン運動』を、氷見でも始めました。

また、氷見の若手移住者が中心になって立ち上げた『氷見暮らし案内所』では新たな移住希望者に向けて、移住するにあたって困ったことなどの体験談などをweb を通じて情報発信し、氷見への移住を検討されている方からの相談に応じたり、氷見の案内もしているそうです。

伊東さんに、氷見に移住を考えている人への気持ちをお聞きしました。

 

「僕自身は、移住先を決めるにあたってネットの情報はあまりあてにしていませんでした。実際に現地に足を運んで、その土地の風景を見たり、そこに暮らす人達とお会いして、話をして。そうやって自分が実感したことは確かなものだし、結局そこに移住しなかったとしても人との出会いは自分の生き方を豊かにしてくれると思うからです。そういう考えを大切にする人達にいっぱい来てほしいです。もちろん、そのための情報発信は必要だと思うので、仕事でも仕事外でも、ここに生きる人達と出会える“場づくり”の手助けができればと思います。」

 

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 次の、さらに次の世代のことを考えて生活したい

 

昨年、第一子であるお子さんが生まれた伊東さん。

今後の展望をお聞きしました。

「子どもが生まれて、自分の人生の目的に気づいたような気がしました。次の、そのまた次の世代のために生きていきたいと、これまで以上に強く思ったんです。これまでは風に運ばれるように各地に移り住んできましたが、小さな僕たちの種は、ここで育てていきたいと思います。この土地にしっかりと根をはって、前を向いて空に向かってぐんぐん伸びる木になって。まわりの土の中にも眠っている沢山の種や、僕たちのように外からくる種を応援して。将来、ちょっとやそっとのことじゃ倒れないような多様で豊かな森を、みんなで一緒に、何より楽しく育んでていければと思います」。

移住者としてだけでなく、行政の立場からもより良い“地方移住”の在り方を考え続ける伊東さんの活動に、今後も期待したいと思います。

 

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自宅にてお子さんとのツーショット

※1

パーマカルチャーとは、オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンが構築した人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系のこと。この言葉は、パーマネント(永久な)とアグリカルチャ-(農業)あるいはカルチャー(文化)を組み合わせた造語。

 


伊東さんのお気に入り

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ナタ

祖父の使っていたナタ。現在、「藤箕」をつくろうと習っているそう。いつかこのナタを使って藤箕をつくるのが目標。

工具

中学校の技術の授業で購入した工具セット。東京にいた時は眠っていましたが、氷見に来てからは大活躍。

どう生きるか悩んだ時、何度も支えてくれた本たち。「一番右にある本の著者、西村佳哲さんが講演で言っていたこと。『あの大人いいな、と思う人がいたら、1ミリでも近づいて1秒でも長く一緒にいること。在り方はうつる』という言葉が好き。こども達に対してできることは、僕たち大人がいかに生き生きと生きることができるか、だと思っています」。

カメラ

10年前に中古で購入したデジタル一眼レフ。

 

移住のアドバイス

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地方は、山側に行けばいくほど古くからの風習やしきたりがたくさんあり、集落毎に雰囲気も違います。いきなり飛び込むとそれまでの生活とのギャップが大きいので、最初はまちに近い場所に住んで、少し慣れてから、より田舎のほうに住むことをおすすめします。