中部山岳国立公園立山の玄関口・立山町に移住した石川さんご夫婦が、この地に決めたのは「娘からの電話」でした。

愛知県犬山市に住んでいた石川さんは、広告代理店にお勤めだった昇さんの定年が近づいてきた時、「仕事で人間関係を作るのに疲れたという理由もあるけれども、自然豊かな所へ行きたかった」ので、地方への移住を計画しました。

 

26石川 昇・たかねさん

 

「犬山は夏暑いので、涼しい場所に行きたかった」ということで、新潟県の出雲崎から京都府の天橋立まで、さまざまな町や村を見てまわりました。
「本当は北海道も見たかったけど、会社勤めをしながらの土地探しでは、時間も金もかかる」から断念。
また、当時の市町村役場には、まだ空き家情報などはなく、田舎物件の情報誌を見たり、自分の足で不動産屋を回ったそうです。
でも、なかなかいい物件に出会えませんでした。

 

そんな時、たまたま娘さんから、「インターネットで、伝統工法で家を建てる会社を検索していたら、富山に“職藝学院”という学校があって、古民家を再生しているのを見学できるそうよ」という電話があったのです。
そこで、富山市(旧大山町)にある学校を訪ねたところ、「富山市に古い農家がある。移築はうちの生徒にやらせる」という提案がありました。

それからは、とんとん拍子で話が進みました。
というのも、石川さんは、移住することを前提に、犬山市の家を既に売却し、岐阜県各務原市に借家住まいだったからです。

学校からは「生徒が通って建てるので、学校からあまり遠くない場所にしてください」といわれ、不動産屋のつてを頼って現地を購入。
既存の建物を壊し、富山市内から家を移築して、平成14年6月にようやく移住完了。

 

—住んでみてどうですか?

「もっと夏は涼しいと思っていたら、結構暑い。
もっとも雪がたくさん降ると覚悟していたけど、それほどでもなかった」とのこと。
家の敷地は約300坪。空いた敷地と隣りの畑を200坪借りて、野菜とブルーベリー70本を栽培しています。
「ブルーベリーは手間もいらないけど、野菜づくりは本当に大変。
特に草むしり。除草剤も買ってはあるけど、やっぱり使いたくないね」。

移築前の家は建坪が100坪もあったそうで
「全部使えばと言われたけれど、そんな広い家は面倒みられない」と真ん中部分だけを使いました。
そんなわけで家の外観は新しいのですが、柱は昔のままで、一見するとリフォームしたような感じです。

 

—地域とのコミュニケーションはどうですか?

「やはり地域に早く溶け込むことが大事。だから積極的に自治会などの活動に参加しています」。
「でも、でしゃばりすぎているのではないかと常に思っています」という心配も。

都市部とは違い『阿吽の呼吸』で行われている人とのつながり。
ずっと住んでいる人は「そんなものだ」と思っていることが、他所から入ってきた人にはとても変に思える。
これをどうしていけばよいのか。難しい課題です。

そうそう、お二人が立山町に移住して最初の仕事が「猿の調査」でした。
滑川市のハローワークで見つけたアルバイトでしたが、富山県の東部から南部の里山で、発信機をつけた猿の行動を追いかけて記録する仕事。
「そのおかげで、里山と猿には詳しくなりました」。

 

昇さんは地域活動に、たかねさんは、グループ樹の実、立山町と富山市の俳句会、山菜の会、大学の中国語講座聴講生など、とても忙しい充実した日々を送っています。

ご自宅を訪問した日は、冷たい雨。リビングには薪ストーブが燃えていました。
庭には薪用の丸太が積み上げられています。
「近所の人が知らないうちに置いていってくれるみたい」。もうすっかり地元民ですね。

 

最後に、「富山の人の善意と偶然とも思える出会いが、私たちの移住へ大きく影響し成功に導いてくださったと思います。
次は、私たちからこの地へ何かを発信できたら、なお、いいなあ」という言葉をいただきました。