魚津市稗畠(ひえばたけ)地区で「ひえばた園」を経営している稗苗良太さん。名刺には「百姓」と書かれています。里山で誇りを持って米作りをしている稗苗さんにお話を伺いました。
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農業を始めよう

高校卒業後、東京の専門学校へ。その後、埼玉の大学に編入し、国際関係学を学びました。卒業時、企業へ就職して社会人経験を積んでから農業をと考えましたが、30歳には地に足をつけておきたいと思い、就職せずに就農することを決めました。2011年、24歳でUターンし、実家の農家を継ぐため農業の勉強を始めました。
富山県で大規模農業に取り組む農業法人を経て、栃木県の野菜の有機栽培農家に勤務。「次はどこで働き、学ぼうか」と探していたとき、「いずれ富山で農業するなら“富山の師匠”と呼べる頼れる存在を作ったほうが良い」とアドバイスをもらいました。
実家に戻り、富山市で有畜循環型農業を営む土遊野さんを知りました。従業員としてではなく、実家の米作りをしながら、研修生として働き、農業の技術や哲学を学びました。
土遊野の橋本さんは関東から移住し、農業を始めた方。農業のことだけでなく、地域との兼ね合いや中山間地の農業ならではの苦労話なども聞き、共通するところが数多くあり、学びになりました。また、たくさんの仲間にも恵まれ、今でも困ったときには相談に乗ってもらっています。

農業は人を豊かにする

この村の営農組合の中心となっていたのは父。学生の頃から農業を手伝い、そばで見ている中で、「一生懸命がんばっているのに儲からない。なのに、なぜ農業を続けているのだろう」と疑問に思っていました。
疑問を持ち続ける中、大学時代のゼミで半年に1回ラオスを訪問していました。現地の農業や生活を見て、日本の古きよき物が残っているように感じました。貧しい国だけど、人のあたたかさ、自給自足の生活、暮らしの中心に農業がある…その様子を見て、面倒くさいし、つらいことも多いけど、自分で作ったものを食べられることがうれしい。農業には「人を豊かにする力がある」から続けているのだと感じました。
また、地元で開講されたいなか暮らし体験プログラム・とやま帰農塾を手伝った際に、近所のおばあちゃんが「お米作りは大変だけど、いのちそのもの。1年に1回その“いのち”をいただくんです」と話していたのが心に残っています。ラオスで自分が感じたことと重なりました。
僕のやっている自然栽培は新規就農の方にはおすすめできる現状ではないですが、「稲から見る命」が見えたときになんともいえない喜びを感じるから続けられています。
稲作は年に1回しか作れない。70代まで40回しか作れない。だから1回1回を大切に作っていきたいと思っています。農業は何回やってもわからないことばかり。だからこそ伸びしろがあって面白いです。
父と一緒に作業していたときは40枚の田んぼのうち2枚から農薬を使わない米作りを始めました。そして、今年からすべての田んぼを私たち夫婦で管理。大変ですが、自分のやりたい農業ができるようになりました。

「田植え世界選手権」開催

田んぼにお客さんや人を呼ぶイベントを行いたいと考え、仲間と一緒に企画しました。
「山から海が見える地形は、日本でも世界でも珍しい場所だ」と、とやま帰農塾の参加者がおっしゃったことや、海外の方にとっても農村体験は楽しいものではないかと思い、「世界選手権にしよう」と決めました。
2015年は春の田植えと秋の稲刈りに外国の方も呼んで行いました。参加した方たちは楽しかったと言ってくれましたが、終わった後の満足感が薄かったんです。振り返ってみると、参加者は個人戦、地元の方は審査員だったため、交流が少なかった。とにかくイベントをすることに執着していたのだと思います。
2016年は会場の装飾や看板など工夫し、参加者と地元の方混合のチーム戦にしました。また、地域の方が小学生に早乙女を着せて田植え体験をしているのを聞き、衣装を貸していただきました。参加者全員に着ていただいたことで一体感が出てよかったですね。和気あいあいの雰囲気の中で、国を超えて、世代を超えての交流がたくさんできました。
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「田植え世界選手権」参加者で寄せ書きをして作った看板

地元のおばあちゃんが海外の方に話しかけている写真があります。お互い言葉は通じない、でも、田んぼの中で90分触れ合って心が打ち解けたからこその姿だと思います。田んぼを通して、そして、「田植え」という共通体験を通して人をつなぐことができました。その写真を見るたびに「やってよかったなぁ」と思います。

富山に戻って感じたことは?

富山は閉鎖的。地域の良さも悪さも知る機会があればいいと思います。田植え選手権を開催したのも「外から見た富山がどう映っているか」を知りたかったからです。
農業をしていると、地域の協調性を求められます。兼業農家が多いため、専業農家の思いが通じづらいと感じます。自分のやりたいことと地域の価値観が必ずしも一致するわけではありません。波風は立てたくないけど、やりたいことはやりたい。「いい物を作りたい」という気持ちはみんなひとつなので、いろんな人にアドバイスをもらっています。物を作って喜ばせたいのは、家族や仲間、そしてなによりお客様です。
また、富山県のいいところは横のつながりが作りやすいことです。それが良くも悪くも出ることがありますが…。

ひえばた園ホームページ

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稗苗さんのお気に入り

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手ぬぐい

農作業をする時には欠かせないもの。

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田んぼから富山湾を望む景色

後ろには山、前を見れば海が見える。海と山の近さを実感できる、ここでしか見られない風景です。

移住のアドバイス

他県からの移住・定住は生半可なものじゃないと思います。僕は「富山出身」という土台があるから地域で信用してもらいやすかったです。富山県は兼業農家が多く、方法も固まっているので、自分たちの思いが理解してもらいにくいところがあります。人とのつながりを作って、いろいろな人と話してアドバイスをもらうことが大切だと思います。