林口砂里さんは、大学進学で東京へ。
学生時代のロンドン留学で現代美術に出会います。
帰国後は美術館のボランティアスタッフに参加。
卒業後もボランティアを続けながら東京のデザイナーセンターやアートスペースでギャラリーの企画、運営などに携わります。

一旦は仕事から離れますが、知り合いのアーティストを手伝ううちに、行政や大きな会社との契約など個人では難しいことが多くなり、2005年にアーティストのプロデュースやマネジメントを行う有限会社エピファニー ワークスを立ち上げました。
2011年6月頃から故郷の富山県で週末を過ごす暮らしを始め、翌年10月、東京に事務所を残し、ご自身はUターン。
2013年3月、高岡の人・もの・まちつくりを融合させ、豊かな価値を発信する取り組みを行う一般社団法人CREP4を設立。
現在は、富山と東京の2ヶ所の拠点を行き来し、活動されています。

 

06林口 砂里さん

 

—Uターンのきっかけは?

以前から、東京での仕事や生活に違和感を感じ、モヤモヤしていました。
大きなきっかけは、2011年3月の東日本大震災です。
震災が起きて、「いつ、だれに、なにが起こるか分からない」と実感し、いつかやろうと先延ばしにすることはやめようと思いました。
それは、大切な人と過ごしたい、父と畑をやりたいと言うことでした。

2011年に週末だけ帰郷し、父の実家である氷見の里山で畑を始めました。
昔は田畑があり、牛もいたのですが、里山はすっかり荒廃していました。
父と伯父が整備していますが、とても追いつかない状態です。
いつでもあると思っていたものが、無くなって大変ショックを受けました。

父の手伝いをしに帰省を繰り返すうちに、友達や高岡の人と話す機会があり、高岡でも伝統産業が衰退していると聞きました。
変わっていくことが、とても寂しく感じ、また、もったいない、残したいと言う思いが湧いてきました。
失われつつあるものもあるが、残っているものもある。
それは都会にはないものや、既になくなってしまったものです。

残っているものは、素晴らしいものばかりですが、放っておくと、それもなくなってしまうかも知れない。
それらを絶やさないために富山・高岡・氷見で自分ができることはないか?
そのためには、もっと地元の人と向き合わなければいけないと思い、2012年10月に東京に事務所を残し、Uターンしました。

 

—二拠点の暮らしはいかがですか?

仕事の状況によりますが、月の1/3〜1/2くらい東京へ行きます。
東京に住んでいる妹や友人の家に泊まります。
東京から離れると、東京へ行ったときに色んな人に会いに行こうと思います。
ずっと東京にいたら、いつでも会えると思って、機会を設けないままだったでしょう。

移動は大変ですが、両方の「いいとこどり」です。
二拠点を持つことで、両方の良いところを享受できます。
また、東京にコネクションがあることが、高岡のためによいことも多くあります。
例えば、東京の人を高岡に招いたり、高岡のものを東京で紹介したり展示会を開いたり…
以前は、高岡での仕事が成り立てば、東京の事務所を引き払おうと思っていましたが、それぞれの良さがあるので、今はできるかぎりこの状態を続けていきたいと思っています。

 

—富山にUターンされて感じることは?

やはり自然の豊かさです。
一旦、富山から出て気づきました。
自然が豊かだと、情報量がとても多いです。

都会の情報は全部人工的で、処理しようとするとくたびれてしまいますが、四季の変化、山や風、田んぼの変化など自然から入ってくる毎日の情報は元気がもらえて気持ちが良いです。
また、畑で収穫したものや近所の人から頂いたものなど、食べ物もとても美味しいです。

ふるさとの高岡市は、加賀藩の時代から400数年の伝統産業が今も受け継がれています。
これは都市部で真似をしようと思ってもできません。
歴史の中で培われた技術と心意気があります。
今、伝統技術を守ろうと、高岡伝統産業青年会の方たちが頑張っています。
そのお手伝いができたらと思っています。

 

—二地域居住をお考えの方にアドバイスをお願いします。

今は生きていく場所を自分で選んで良い時代になりました。
交通やネットの発達によって、都会でなければ仕事ができないと言う概念に縛られなくてもよいのではないかと思います。
住むところや仕事は自分で切り開いていくことができます。
まずは週末だけでも、自分が気になっている別の場所で暮らしてみるのもよいかもしれません。
その人それぞれに縁のある場所はきっとあります。それが富山になったら嬉しいですね。

できる範囲で拠点を複数持つことも選択肢のひとつです。
地方は居住の経費が少ないし、畑をすれば食べ物は手に入る。
東京ほどの収入は得られないかもしれませんが、地方の暮らしに見合った収入があれば十分です。
都会と同じ仕事でなければならないと言うことはないと思います。
今は様々な行政サービスがあります。それをうまく利用するのも一つの手段ですね。

富山暮らしに関しては、私は富山でできるだけ長く楽しく暮らしたいと思っています。
自分だけ楽しくはあり得ません。
周りの人や家族、まち、みんなが楽しめるようになって欲しい、
今取り組んでいることもそのための努力の一環だと思っています。

 

▶︎有限会社エピファニー ワークス
▶︎一般社団法人CREP4