富山県南西部にある南砺市の旧福光町。
医王山山系の東向き斜面に、海老澤さんが自力で建てたログハウスがあります。
東京都生まれの海老澤さんは、大学卒業後、サラリーマンになりました。
通勤ラッシュ、休日に出かければどこも大混雑。
深夜までの残業、残業のない日は仲間と酒場で上司の悪口。
東京では当たり前の生活ですが、海老澤さんは「つくづくいやに」なりました。
その時、求人情報誌で『林業就業者募集』の記事を見て、当時の砺波森林組合にやってきました。
砺波森林組合が都会からのIターンを募集した第一陣です。
「その時は彼女(今の奥さん)がいたのですが、彼女の両親は函館生まれということで地方生活に反対することもなく、私の両親も『やってみれば』と言ってくれたので決心しました」。
—富山にやってきて,林業に携わって,一番変わったところは何ですか?
「一番は、明るいうちに風呂に入れることです」、なるほど。
引っ越して3年間は組合が探してくれたアパート暮らしでした。
「アパートを借りる時も、彼女が『平面図がないか』『押入れのサイズは?』といろいろ質問を出してきましたが、組合の方々は、実に誠実に対応してくれました」。
しかし、東京から富山へ行くときに、仲間との飲み会で「田舎に行くからにはログハウスに住むぞ」と豪語してきた手前、いつまでもアパート暮らしという訳にもいかず、キットのログハウスを買い、2年をかけて自分で組み立てました。
「安いキットだったので外材です。森林組合にいるのに、ちょっと気がひけた」そうです。
「ログハウスは下から組み立てていき、最後に屋根。だから最初の冬は家の中に雪が積もり、家の中で雪かきをするという悲しい状態でした」。大変ですが、なんかおかしいです。
「土地は400坪ほどあります。今は妻が野菜を、私が杉を植えています」。
—田舎に越してきて困ったことはありましたか?
「よく聞かれますが、あまり困った経験がありません。
もっとも最初は方言がわからなくてなかなか会話に入れませんでした。
当時の森林組合は高齢者が多く、特にわからなかったですね。
でも、森林組合も初めての試みだったので、本当によくしてくれました」。
—後に続く人達に何かアドバイスはありますか?
「私の後、10数名が都会から森林組合にやってきましたが、半数ほどは辞めています。
見知らぬ土地で働き続けるためには、ありのままを受け入れることが必要です。
いろいろなことで自分の考えややり方と合わない場合もありますが、
『自分ならこうやっていたぞ』と思わないことです」。
「それから、単に『都会暮らしが合わないから田舎暮らしをしたい』と思って森林組合に入っても長続きしません。
林業は体力勝負です。収入も決して高くない。『緑や自然と暮らしたい』といった気概がないとダメです」。
「今、地産地消が言われています。木材の地産地消も進んでいくでしょう。
これから林業は面白い時期になると思います。
なによりも自分が植えた木が、自分の子や孫の世代に役立つという息の長い職業は林業以外にはないと思います」と頼もしいお言葉をいただきました。
以上のお話をお聞きした後日、旧砺波森林組合と旧利賀森林組合で働く仲間が集まった会合(飲み会)に参加しました。
参加者は9名。うち7名がIターン。あとの2名は県内の都市部からの移住者です。
皆さん、一度はサラリーマンを経験した人ばかり。
そこで、「どうして、わざわざ都会から田舎にやってきたのですか?」と愚問と思いつつ聞いてみました。
海老澤さんは「富山に来てしばらくは、会う人毎に同じことを聞かれました。
『隣の芝は青い』ということでしょうね。
都会で生まれ育った人には、都会が合わない人もいるのです」と、ごく普通に答えてくれました。